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2022.09.04

花との思い出 〜⑥  最期の時間〜

2022年の春。

かつては“おにぎり”だとか、“牛”だとか表現されたほどむっちり体型だった花も、よく生きているなと思えるほど痩せ、いよいよほぼ骨と皮だけになっていました。

(↑積極的な治療は選択しませんでしたが、本人が楽になるような緩和ケアは、状態をみながら行っていました。)

 

5月半ば頃、本格的に体調も悪そうで、下旬に控えていた長男の誕生日は越えられないかもしれない。。。という非常に危ない時がありました。 

長男は特別に花のことを好いていたので、ここまで生きてきたなら、長男の誕生日までは生きられたらいいな。と、その時は『もうちょっとだけ頑張ってよ。』と、最後のお願いをしてしまいました。

それを聞いてくれていたのか、その山もなんとか越えてくれた花。

こうして、5月を乗り越え、6月を迎えることができました。

6月は院長の誕生日が控えていましたが、さすがにそこまで生きてと花に無理を言うことはしませんでした。

息子の誕生日まで頑張ってくれたことに感謝しかありませんでしたので、残りの日々を花には何も背負っているものが無い状態でいてもらえるよう心がけました。

 

よく、猫は死に場所を求めて/死に姿を見せたくないから家から出ていく。というお話を耳にすることがありましたし、飼い主さんからの質問でも『実際どうなんですか?』と聞かれることが多いので、今回の実体験としてお伝えすると、

花の場合も、亡くなる1週間前くらいから、部屋から出ていったり、普段行かないお風呂場に行くことが多くなりました。

(↑裏の部屋のドアの少し開いていた隙間から出てきて、入院室を彷徨っていたときの花。)

 

これは、体調が悪くどうしようもない時に、場所を変えたら楽になるかもしれない、居心地が良くなるかもしれないという期待を求めて彷徨うのではないかなと思います。

 

この入院室を彷徨って排水溝を覗いている花の姿を見て

・・・・・いよいよの時が近づいてきた。  と感じました。

 

「次の日病院に出勤してみたら亡くなってた。」ということもあるかもしれない。と、いつその時がきてもいいように、一緒の写真はよく撮るようにしておきました。

 

6月10日。

ついに自分のベットまで辿り着くことが難しくなり、途中で諦めて横になってしまっている姿も見られてきました。

 

自分で歩くことが難しくなった花を見て、思い立ったのが外の景色を見せること。

かつて野良だった花。外の風や鳥の声も懐かしく思い出し、喜んでくれるかな?と、最後にできる私たちからのプレゼントでした。

『花〜見てごらん。鳥さんいるねぇ。』というと、息も絶え絶えなのに、『にゃ・・』と返事を返してくれていました。

少し動けていたら、逃げてしまったりすることも考えられたので、「もう少し早くから外を楽しませてあげられたらよかったかな・・」と、ちょっと悔やまれる気持ちもチラついたのですが、これが最短可能なタイミングだった。と自分に言い聞かせるようにしました。

 

(↓なんで花だけ外いるの? 自分達もそっちに行きたい。と言うシハルとスンミ。)

外気浴は亡くなった当日の朝も行いました。

 

 

花の命が尽きたのは、6月12日のお昼過ぎでした。

お昼は外来とオペが終わり、少し時間があったため、私と院長は必要なものを買いに一度外に出ていました。

そしてお昼ご飯を買ってから病院に戻ろうかと話をしている時、モニターで花の様子を確認してみると、呼吸の仕方がいつもと違う状態になっていたのです。

ご飯を買っていたら間に合わないかもしれない。と、とにかく急いで病院へ戻ることにしました。

駐車するより先に私が車を降り花の元へ。そして少し後に院長が部屋に入ってきました。 花の呼吸はもう亡くなる直前の呼吸の仕方になっていました。

 

最期の瞬間は院長の腕の中で亡くなってほしいと、院長に花を抱いてもらいました。

 

時計を見ると14時40分頃。

子供たちに電話をし、「花にありがとうと伝えてあげて。」と電話をスピーカーにし、3人の声を届けました。

我々2人も、大好きだという想いと、ありがとうと伝えました。

 

時計の針は14時50分頃を指していました。

15時からは午後の診察が始まってしまいます。

 

外来に向かって院長がいなくなってから逝ってしまうのは寂しすぎる。と思い、『どうしよう、診察始まっちゃうけど、少し待ってもらおうか?』と私が口にしたら、それを聞いていたかのように、スーッと花は息を引き取りました。

14時51分。

一体何年の生涯だったのか、結局最後まで不明のままでしたが、花の長い猫生は幕を閉じました。